大切にしたいのは誰か?
ずっと離れたい、離婚したいと思って、ずーーーーと主人に抵抗していた。
私は父親に反抗するかのように、ずっと主人に反抗していたのかもしれない。単身赴任で主人が居なくなってから、ずっ寂しかった。
その寂しさを紛らわすためにセミナーに行ったりして、どこか居場所を作りたかった。けど今は仲が良かった色んな仲間と疎遠になって、主人と向き合わされているような気がする。
私が大事にしたい人は誰なのか。それは家族だった。家族仲良く過ごしていきたいのだ。そうやって基盤を作って安定した生活を送りたいのだ。
ほっとしたい。安心したい。
もう寂しさとは無縁になって、誰かに合わせるのではなくって、自分自身を生きたい。
私以外私にはなれないのだ。
主人は優しくて素敵な人。
私がものすごく冷たく傷つく事をしてしまっても、体調が優れなくっても、ずっと家族の為に働いてくれている。
ものすごくありがたいことだ。そして、そうやって愛してくれているのだ。
感謝。
偶然ばったり会う
今日はずっと仲の良かった友人とばったり会った
彼の活動地域にいたから、もしかしたら会うかもとは思ってたけど、そんな偶然はないだろうと思ってたとこだったので、かなりびっくりした。と同時にそうなるのが当たり前のような感覚もあって矛盾がある2つの感覚を味わっていた。
今年に入ってから、自然と連絡を取り合わなくなった。私は彼に対してお母さん役を随分としてきて、もうその必要がないだろうと思ったらだんだん離れて行ったのだ。
何でも話せて、コミュニケーションが取れるのが好きだった。頼ってくれて話しかけてくれるのが嬉しかった。働きかけてくれるのがなんとも心地良かったのよね。
あんなに仲が良かっただけに、関係性が薄くなって無くなるのが嫌だった。
FBでは活動の様子が見えるので常に視界に入ってくる。何をしているのか情報がわかって、でもそこに私がいないというのが寂しかったんだよね。だからいつも頭の中にいて忘れられなかった。恋人でもないのに恋人みたいに未練があった。付き合ってもなければ、別れてもないのに。
でFBで視界に入ってくるたびに、寂しさが沸き起こるのでFBのフォローを外したのが1週間くらい前。そしたら偶然会った。
手放すと来るというのはこうゆうことか。会うかもしれないと思いつつも全く期待はしてなかった。
でも嬉しかったな。30分くらいだけど、話せて良かった。前と変わらずの雰囲気にすぐなって、感覚はすぐに戻る。けど緊張もしていたな。
神様からのご褒美だろうか。
ありがとう。
自然と関係性が薄くなるのも必然。自立へと向かって依存しあっていた関係は長くは続かない。お互いが自立の方向へとベクトルを変えたのだ。その結果が今の現状。未練や寂しさは残るけど確実に成長している。それを誇りに思っていいのだ。
今まで深く関わってくれてありがとう。おかげで自立への道へと旅立てます。
お互い幸せになろうね。